「雷様におへそを取られる」の謎から探る生活様式や日本画の変遷

 気象庁が全国に設置している気象台の観測によると、雷を観測した日数の平均値(1982〜2010年の平均値)は、最小で北海道・札幌の8.8日、最多で石川・金沢の42.4日となっています。札幌と金沢の差は33.4日と1ヶ月以上にものぼります。[注1]

このように雷を観測した日数は地域で大きく異なるにも関わらず、雷が発生すると日本全国の大人が子どもに「お腹を出していると、雷様におへそを取られるよ」と注意します。

この言い伝え、迷信は何故言われ始めたのかを解説します。

[注1]【参考元】気象庁:雷の観測と統計

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「雷様におへそを取られる」が広まったと考えられる背景は大きく2つ

「雷様におへそを取られる」が広まったと考えられる背景は、

  • 生活の知恵
  • 信仰

と、大きく2つが考えられます。

【生活の知恵】雷発生時の温度変化で体調を崩さないため

雷を発生させる積乱雲が発達するとき、下降気流の影響で地上付近の気温は急激に低下します。ひんやりとした気温にも関わらず、おへそを出していると風邪をひいてしまいかねません。

つまり子どもの健康を気遣った結果として「お腹を出していると雷様におへそを取られるよ」という迷信が広まったというのが、有力な一説です。

【生活の知恵】落雷リスクを減らすため

警察庁が発表している『警察白書』では、落雷事故の発生件数、死者、行方不明者数、負傷者数を発表しています。同白書からは、落雷による死亡事故が年々減少傾向にあることが伺えます。

 

落雷による死亡事故が減少した理由として考えられるのが、

  • 産業構造が変化し農業従事者が減少し落雷リスクが低下
  • 生活スタイルが変化し自動車移動や室内での作業が増えた
  • 都市化が進み高い建物が増加し人体への落雷リスクが低下

 

の3つです。この3つは近年になって起きたことであり、農作業従事者が多く、自動車がない、高い建物もない時代の場合、人体への落雷リスクは高かったことが想像できます。

落雷リスクが現代よりも高かった時代に重要となったのは、雷が発生した際にどこにいるかとどのような姿勢でいるかでしょう。

たとえば周囲に高い建物がない場所で雷が発生した場合、両足を閉じた状態にしてしゃがみ込んで、頭を低くするのが望ましいとされており、この姿勢をとると、自ずとおへそは隠れます。つまり、「お腹を出していると、雷様におへそを取られるよ」という言い伝えは、子どもが落雷事故に遭わないための注意喚起ともいえるでしょう。

【信仰】雷様は鬼に姿を変えるという土俗信仰があるため

一方、本当に雷様がおへそを奪いにやってくるという説も存在します。この説は、雷様は鬼や河童に姿を変えるという土俗信仰を前提としたものです。鬼や河童は人間の無防備な部分から侵入し、悪さをすると言われています。このような日本特有の言い伝えも、「雷様がおへそをとる」とされている理由と考えられます。

美術史から読み解く雷とおへその関係

雷様というともっとも有名な姿は、俵屋宗達が17世紀に製作した国宝『風神雷神図屏風』に描かれた雷神像でしょう。

同作品に描かれた雷神は、鬼のような見た目で、牛の角を生やし、虎の革でできたふんどしを締めており、その後の雷神像を決定づけたような姿をしています。そして、この屏風に描かれた雷神のお腹には立派な「おへそ」があるのもポイントです。

雷神、風神は俵屋宗達による図屏風以前にも、国内限らず東洋をはじめとした多くの国で、美術作品のモチーフにされています。

『風神雷神図屏風』以前の「おへそ」が強調されていない雷神像

雷神が美術作品のモチーフにされることは古くからあり、中国・東省にある、後漢(25〜220年)の豪族武氏を祀った古代遺跡、武氏祠には雷公(中国神話における雷を起こす神)が石画として彫られています。

国内では奈良時代に国宝『絵因果経』で描かれていることが確認できます。

『北野天神縁起絵巻(弘安本)』(13世紀)

947年に創建された北野天満宮は、藤原道真を主祭神として祀っています。藤原道真というと、右大臣まで上り詰めたものの左遷先の太宰府で没し、怨霊と化したことで知られています。

道真の死から27年後、平安京の内裏に雷が落ち死亡者が発生。「清涼殿落雷事件」と呼ばれるこの事件は道真の怨霊の仕業とされ、道真を雷神として描いた絵巻物が『北野天神縁起絵巻(弘安本)』(13世紀)です。

この絵巻に描かれている雷神(道真)の姿は赤いのも特徴的ですが、宗達作の『風神雷神図屏風』と比べると「おへそ」は確認できないほど控えめなのがわかります。

『 風神・雷神像(三十三間堂)』(13世紀ごろ)

「三十三間堂」の名称で知られる、蓮華王院本堂には国宝である『風神・雷神像』(13世紀ごろ)があります。この雷神像は、宗達による『風神雷神図屏風』に大きな影響を与えたとされており、表情は図屏風に通じるものがあります。ですが、『北野天神縁起絵巻(弘安本)』同様おへその強調は少ないように思える一体です。

『風神雷神図屏風』以降の雷神像

『風神雷神図屏風』の発表後、尾形光琳や酒井抱一が同作品の模写を残しています。いずれも「おへそ」がくっきりと描かれているのが特徴です。

宗達が関係する『雷神図』は、国宝となっている前出の図屏風だけではありません。宗達の工房が用いた「伊年」の印が記された『雷神図屏風』が発見されています。この『雷神図屏風』に描かれた雷神にも、「おへそ」が描かれています。

宗達がこだわった「おへそ」の意味

雷様と「おへそ」の関係性は、俵屋宗達に代表される雷神図からも読み取れます。宗達が『風神雷神図屏風』において、「おへそ」を描き込んだのは、なにも「雷様=おへそ」というイメージが浸透していたからではないでしょうし、ましてや宗達が「おへそ」に執着していたというわけではないでしょう。

『風神雷神図屏風』における風神雷神の「おへそ」には絵画技法として意味があり、その革新さから「雷様=おへそ」というイメージが人々に根付いたのかもしれません。

「おへそ」があるから立体的にみえる

『風神雷神図屏風』でモチーフになっている風神雷神のおへそは、同じ高さに位置しています。そして、それぞれの目線も同じ高さにあります。このことから2つのモチーフが同じた高さにいることがわかります。

2つのモチーフの間には空白があり、屏風の中央上部から対角線上に空間が広がっています。この対角線が消失点となり、風神と雷神が鑑賞者の近くにいるように感じられる、ダイナミックな構図となっています。

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迷信が生まれる背景にはさまざまな要素がある

日本全国で言い伝えられている「雷様におへそを取られる」という迷信。科学が発達した現代では、雷が発生したからといっておへそをとられないことくらいわかりきったことです。

だからといって、迷信の一言で片付けてしまうのではなく、なぜ人々が言うようになったのかを考えてみましょう。

雷が発生したときにおへそを隠すことは、子どもが風邪をひかないようにするため、落雷から身を守るため、さらには雷神像との結びつきといった要素が考えられます。

 

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