文語体は、明治までの古い書き言葉です。日常の話し言葉とは異なる独自の言葉です。
石炭をば 早積み果てつ。
中等室のテーブルの卓のほとりはいと靜かにて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。
…文語体で書かれた森鴎外の小説「舞姫」の冒頭です。古めかしく格調高い雰囲気の文章です。
現在、文語体がビジネス文書や記事作成の場で使われることはありませんが、文学作品や詩のなかで、あえて使われることはあります。
美しい文語体からは、文章を作成する際のインスピレーションも得られます。
文章作成を生業とする方は、趣ある文語体について知っておきましょう。
文語体とは明治までの文章に用いられた書き言葉
文語体は、明治までは、書き言葉の主流であった古い文体です。明治の言文一致運動により、文語体よりも理解しやすい口語体が使われるようになりました。
デジタル大辞泉によると、文語体とは、文語を用いて書かれた文章形式のことです。
文語に関しては下記の記載があります。
ぶんご【文語】デジタル大辞泉
- 話し言葉に対し、文字に書かれた言葉の総称。書き言葉。文字言語。
- 文章を書くときに用いられる、日常の話し言葉とは異なった独自の言葉。
特に、平安時代語を基礎にして独特の発達をとげた書き言葉をいう。
文語体は、文章を書くときだけに使われる古い文体を指します。
国語教科書を編纂する大修館書店によると、『古事記』『万葉集』などの古文から明治の文章までの日本語の書き言葉を文語とし、これを対象とするのが文語文だとされています。[注1]
明治時代の言文一致運動以降、文語体は口語体の文章におされて、減少してしまいましたが、日本語の美しさを感じる貴重な文体です。
文語体の有名な作品として、冒頭でご紹介した森鴎外の「舞姫」が挙げられます。
文語体を説明するよりも、実際にその文章を読んでみるほうが、その格調高さを実感していただけるでしょう。
【引用:森鴎外/舞姫】
この截(き)り開きたる引まどより光を取れる室にて、定りたる業(わざ)なき若人(わかうど)、多くもあらぬ金を人に借して己れは遊び暮す老人、取引所の業の隙を偸(ぬす)みて足を休むる商人(あきうど)などと臂(ひぢ)を並べ、冷なる石卓(いしづくゑ)の上にて、忙はしげに筆を走らせ、小をんなが持て来る一盞(ひとつき)のカツフエエの冷むるをも顧みず、明きたる新聞の細長き板ぎれに挿みたるを、幾種(いくいろ)となく掛け聯(つら)ねたるかたへの壁に、いく度となく往来(ゆきき)する日本人を、知らぬ人は何とか見けん。又一時近くなるほどに、温習に往きたる日には返り路(ぢ)によぎりて、余と倶(とも)に店を立出づるこの常ならず軽き、掌上(しやうじやう)の舞をもなしえつべき少女を、怪み見送る人もありしなるべし。
明治頃のヨーロッパの街角のカフェの雰囲気が伝わる文体ですね。
「一盞(ひとつき)のカツフエエ」など、同じ意味だからといって「一杯のコーヒー」と表現されると、それは違う、と言いたくなります。
ただし、現代の読み手には見慣れない漢字も多く、句点も少ないため、理解が難しいのも確かです。
同じ文語体でも、作者によってもう少し柔らかい文体の作品もあります。
与謝野晶子の作品を読んでみましょう。
【引用:与謝野晶子/君死にたまふことなかれ】
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
明治の歌人・与謝野晶子が、2歳年下の弟が日露戦争に招集された際に歌った詩です。
当時の世相や、そのなかで抱く心情は、文語体でなければ表現できないものです。
ちなみに、このとき詩に歌われた「弟」の籌(ちゅう)三郎は、非業の死を遂げることはなかったようです。
弟は無事生還し、63歳で亡くなりました。晶子の生前、ずっと交流があったようです。
「死にたまふことなかれ」という願いが届いたのでしょう。
文語体は、歴史的仮名遣いなど、理解が難しいのは確かですが、その言葉でなければ表現できない芸術的な価値があります。
公用文の文語体は昭和初期に使用されなくなる
公用文でも文語体が使用されていました。昭和の始めに、より平易な口語体に改善されます。昭和27年発行の内閣閣甲第16号「公用文改善の趣旨徹底について」には、下記の記載があります。[注2]
【内閣官房長官/公用文改善の趣旨徹底について/文体について】
- 公用文の文体は、原則として「である」体を用いる。
- 文語脈の表現はなるべくやめて、平明なものとする
法令の一部を改正する場合についても、次のように示されています。
【内閣官房長官/公用文改善の趣旨徹底について/法令の用語用字について】
(1) 法令の一部を改正する場合について
1 文語体・かたかな書きを用いている法令を改正する場合は,改正の部分が一つのまとまった形をしているときは,その部分は,口語体を用い,ひらがな書きにする。
文学作品としては趣のある文語体ですが、公用文に用いるには、歴史的仮名遣いの難解さが適さないと判断されるようになったのでしょう。
[注1]大修館書店/国語教師のための古典文法指導講座/「古典文法」と「文語文法」はどう違う?
[注2]文化庁/内閣閣甲第16号/公用文改善の趣旨徹底について[pdf]
文語体と口語体の違い
文語体と口語体は次のように対比できます。
- 文語体: 明治の言文一致運動までは主体であった古い書き言葉。(昭和初期まで公用文にも使われてきた)
- 口語体: 現代の言葉遣い。「話し言葉」と「書き言葉」にわかれる。
森鴎外は、文語体の作品と口語体の作品の両方を書いています。
同じ文豪の作品でも、文語体と口語体では雰囲気も理解しやすさも違うのがわかります。
それでは比較してみましょう。
【引用:森鴎外/即興詩人】
文語体
巌穴(いはあな)の一点の光明(くわうみやう)は忽(たちま)ち失(う)せて,第二の舟は窟内(くつない)に入り来りぬ。そのさま水底より浮び出(い)づるが如くなりき。第三,第四の舟は相継(あひつ)いで至りぬ。凡(おほよ)そここに集(つど)へる人々は,その奉ずる所の教の新旧を問はず,一人として此(この)自然の奇観に逢ひて,天にいます神父(しんぷ)の功徳(くどく)を讃(たた)へざるものなし。
「即興詩人」(作・アンデルセン)は、森鴎外による翻訳文ですが、文学史上最後の文語文ともいわれる抒情詩です。
流麗な文章は、森鴎外が10年の歳月をかけて練り上げたものです。
次に、同じ森鴎外の口語体の文章を読んでみましょう。
【引用:森鴎外/雁】
口語体
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条かみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
同じ作者ですが、口語体の「雁」は、ずいぶん様相が異なります。
やはり口語体のほうが読んですぐに意味が理解できますね。
読み書きする層が広くなるにつれ、口語体の需要が高まり、広まっていったのもうなずけます。
一方で、文語体には文語体にしかない高雅な雰囲気とノスタルジックな響きもあります。
ビジネスや公の文書に使用することはありませんが、個人的なブログ、小説、詩歌など、創作活動にあえて使用されることはあります。
文語体の作品【一覧】
文語体で書かれた名作をご紹介します。
ぜひ作品を手にとって文語体の雰囲気を感じてみてください。
【森鴎外】
「舞姫」
高雅な文語体で書かれた明治ロマン小説。
ドイツ留学中のエリート官吏・大田豊太郎の手記という形で綴られる。踊り子エリスと恋に落ちた彼は、失職しながらも、エリスとともに束の間、幸せに暮らす。
しかし、結局は、日本での復職の機会を得て、エリスと別れて帰国を決意する。お腹に太田の子どもがいたエリスは、別れの衝撃で精神を病んでしまう。
「即興詩人」
流麗な文語体で綴られた翻訳。
アンデルセン(デンマーク)原作の小説を翻訳した抒情詩。
森鴎外が10年近くの歳月を費やして手掛けた大作。
イタリアを舞台にした恋の物語。ローマに生まれた主人公の生い立ち、女優アヌンチャタとの悲恋、即興詩人として成功し、美しい女性マリアを結ばれる物語。
森鴎外自身も「しちくどいまでに凝った文章」と語る擬古文で綴られる。
【与謝野晶子】
「君しにたまふことなかれ」
日露戦争の最中に発表された浪漫主義の詩。
与謝野晶子は、戦争に反対する気持ちをこの詩で表現した。旅順包囲軍にいた弟を思って綴られています。
【樋口一葉】
「たけくらべ」
明治の下町を舞台にした短編小説。
吉原遊廓界隈の少年少女の心理が描かれています。妓楼で育った美登利と龍華寺の信如は、互いに淡い恋心を抱いていますが、互いに成長し、別れの日が来ます。
【中島敦】
「山月記」
自意識と人間の不条理を芸術的文体で表現した作品。
中国の唐の時代、主人公の李徴(りちょう)は、役人をやめて詩作で成功しようとするが失敗。役人に戻ります。苦しみ、気がつくと虎に変貌してしまいます。
【佐藤春夫】
「殉情詩集」
谷崎潤一郎の妻、千代子への想いを綴った詩集。文語定型詩。
文語文で育った最後の世代の一人である佐藤春夫は、友人がみな口語体に移っていく中、文語体を使い続けました。
流麗な文語体で書かれた作品は、ほかにも多くあります。作家:山本夏彦が文語文について語った次の言葉があります。[注3]
文語文は平安の昔の口語が凍結され、洗練に洗練をかさねて「美」と化したものである。
現代の言葉遣いでは表現できない文語体の美に触れてみてください。
[注3]引用:山本夏彦「完本 文語文」文春文庫
文語体で日本語の美しさを極めよう
文語体は古く格調高い文体であり、ときにノスタルジックな響きもあります。
ビジネスや公の文書に使用することはありませんが、個人的なブログや小説など、創作活動にあえて使用してみるのもよいでしょう。
文章での創作活動を極めるなら、ぜひ文語体の美しさを探求してみてください。
口語体について解説した記事もご覧ください。口語体の始まりは明治の言文一致運動からですが、そこには文豪達の奮闘の歴史がありました。口語体の確立により、読み書きする層が広まり、教育は大きな影響を受け、多くの人が分かりやすく必要な情報を得られるようになりました。皆さんが普通に使う「です・ます調」「だ・である調」も口語体です。↓
【参考文献】
山本夏彦「完本 文語文」文春文庫